『顔を上げると…』
ここは、どこだろう?
本棚には、背表紙が並んでいるのだけど、順番に規則性がない。縦が長いのも、短いのも、ごちゃごちゃに陳列されている。
おまけに、表紙の横の大きさもまちまちで、角度を変えて見ると、陰になって隠れる本も出てしまう始末。
でも、買う時はきっと、楽しいだろうな。どこに何があるか分からないので、ちょっとした宝探し気分。
私は、書店内の一角、児童書のコーナーにいた。
図鑑、アニメキャラクターの本、パズルブック、童話、音の出る絵本……
新しい絵本ばかりなのに、あれも、これも、なんで、懐かしいのかな。
パー、パパパパ、パッ、パーパパパパッ
「うるさいっ」
トランペットかな。機械に録音させた音。
半月の形の低いテーブルで、幼児がひざを付き絵本を広げていた。その指が紙面に触れるたび、
ファファファ、ババ、スス、ファーン(きっと、ヴァイオリン)、
ポロポロポロ、ポロポロロロロ、
演奏が始まった。
けらけらと、楽しそうに笑っている。
小さな指揮者は、三、四才だろうか。汚れた身なりで、髪の毛がちぢれている。性別は分からないけど、男の子かな。
お母さん、お父さんの姿が見えない。トイレかもしれないけど、子供を一人にしてダメだな。
絵本を抱えて、立ち上がった。目が合う。
ほぼ、同じだった。――身長が。
幼児の身長は、1メートルぐらい? 私の方が、少し高い。
車椅子で話す私は、いつも上を向いている。
今は、違った。
絵本で口を隠しながら、恥ずかしそうに、近寄ってきた。
「こんにちは」 声を掛ける。
返事はなかった。本のマスクを取ってくれた。天使のような笑顔。
「えっ!? ちょっと、ちょっと」
突然、ひざの上に本を広げられた。
一緒に遊びたいのは分かるけど、自分の膝をテーブル代わりにされると……その、可愛い頬をつねってやろうか?
見開きのページでは、学校のひとクラスほどの人が、それぞれ、自分の体の一部のように楽器を持ち、照らされた舞台で威厳を放っていた。
――オーケストラ。そう書かれていた。
座り込んだボクは、ページのボタンを押していく。赤、緑、青、黄色と、ボタンが点灯した。
最後のボタンを押すのかと思ったら、指が止まった。全て点灯すると、仕掛けが動くページのようだ。
「私に……最後のボタンを押して欲しいの?」
口に両手を当て、ボクは頭(かぶり)をふる。
でも、何かを期待するように上目遣いで見てくる。
仕方ない。付き合ってあげよう。
「ひゃぁあ〜……すごい音」
オーケストラにふさわしい演奏である。電池がすぐに無くなりそう。
子供が大きな音を出しても注意もしない。悪い行為が返って爽快で、口元がゆるんだ。
男の子も、歯の少ない口を開けて、笑っている。
私とボク。黒いスーツを着て、二人は一緒に、オーケストラで指揮棒をふるった――
演奏が終わると、客席から歓声があがり、雨のように拍手が降ってきた……と、想像しておく。
絵本を閉じると、足を伸ばして立ち上がった。私も一緒に、出来ればいいのに。
ふと、男の子の顔をよく見ると、左の頬にガーゼを当てている。
血が滲んでいる。
「その傷――」
どうしたの? と、聞こうとしたけど、止めておいた。顔が一瞬、凍り付いた気がした。
「…………」
汗の匂いも気になるし、服も汚れている。
大きな音を立てて遊んでいる時も、注意どころか、親は様子を見にくる気配すらない。
もしかして、放任?
いや、放任というより――ボクが突然、走り出した。全力疾走で。
「あっ、待って!」
思わず、呼び止めてしまう。
床に膝をこすり付けながら尻餅を付き、男の子は振り返った。不思議そうに首を傾げている。
「お菓子でも食べる? お姉ちゃん、買ってあげようか?」
思い切って、誘ってみた。店内では、パンやお菓子、ジュースも販売している。
「知らない人を信じちゃダメ。お菓子を買ってあげると誘われても、ついて行かないように。悪い人かもしれない」と、親に一度は教えられる。
誰が、悪者に見るのだろう。車椅子の私を。
うつむきながら、小さな頭を左右にふった。男の子は唇をさわりながら、片手でお腹をさすっている。私に気を使っているらしい。
「じゃあ、お姉ちゃんが食べるから、選んでくれる? 美味しそうなお菓子、お願い」
もちろん、何だかんだと理由をつけて、お菓子はあげる。
返答を待たず、さりげなく私が先に進むと、後(うしろ)から付いてきて、やがて、横に並んだ。
やっぱり、私の方が大きいや。頭ひとつ分?
目線が近い。
お姉ちゃんと、弟みたい。
いつの間にか、私の顔は上がっていた。
<了>