一人称か三人称か

更新日・2016年08月23日

ノベルの世界にはカメラとも呼べる、物語の視点があります。

カメラは、あるひとりの登場人物に固定されていたり、ある場面を遠くから傍観するような神の視点になっていたり、様々です。

読者が分かりやすいように、小説には視点移動を統一するルールがあります。

二人称は手紙のようなもので、読者に質問したり語りかけるような文体ですが、あまり見ない表現方法です。

画像_いちにんしょう

一人称とは、話し手その者を示します。

読者に語りかけるような事はしませんが、「私は、僕は、俺は」などを使って、自身の感情や場面の状況を描写していきます。

一人称小説は純文学に多くみられます。

キャラクターただ一人にカメラを固定するので、心理描写は書きやすくなります。

しかし、他の登場人物の目線でストーリーを進められません。 話の規模が大きくなりやすい小説には不向きかもしれません。

画像_さんにんしょう

三人称とは、ある一人の目線で見た、もう一人の人物を示します。

どんな場所も、どの人の心の中も覗けるので、神の視点とも呼ばれています。

「彼女は、彼は、マーガレットは」など、代名詞や名前の人物の、行動などを描写します。

キャラクターの心の中の独白(「ああ、くそ!」など)が書きづらかったり、 あくまでも第三者の視点なので、心理描写は間接的な表現になります。

キャラクターA、B、Cがいれば、それぞれの目線で物語を進められるメリットはありますが、 心理描写がし辛いデメリットをカバーしようと考えた場合、

キャラクター視点の三人称があります。

画像_さんにんしょう(きゃらくたー)

三人称(キャラクター視点)は、イメージとしては、語り手となる第三者が、キャラクターの非常に近い位置にいます。

分かりやすいように、一人称も加えて、例文を挙げます。

一人称

俺が目覚めた場所は、病院のベッドの上だった。あれ? どうしてここに……。 思い出せない自分が怖くなった。記憶が全くない。傍のテーブルに、花瓶が置いてある。 いけられた、大きなヒマワリ。今の季節は、夏。そうに違いない。

三人称(神の視点)

彼は病院のベッドの上で、眼を閉じて眠っている。何日も、何日も。夕方になると、 仕事が終わった母親が毎日のように見舞いに来た。学校の友達も、時々、上地の様子を見に来る。 看護師が来ても、医者が来ても、誰が来ても、上地は目を覚まさなかった。 しかし、春が過ぎ、夏が来ると、彼は目覚めた。

真っ白な天井を見たまま、瞬きを数回。上地は、何も思い出せない自分が怖くなった。 ベッドの傍のテーブルに、花瓶が置いてある。いけられた、大きなヒマワリ。それで、今の季節は夏だと彼は理解した。

三人称(キャラクター視点)

彼が目覚めた場所は、病院のベッドの上である。あれ? 俺はどうしてここに……。 上地は、思い出せない自分が怖くなった。記憶が全くない。傍のテーブルに、花瓶が置いてある。 いけられた、大きなヒマワリ。季節は夏なのだと、彼は思った。

例文を読むと、一人称は読者との距離が非常に近い感じが、

三人称(神の視点)は物語に登場しない語り手の存在が、

三人称(キャラクター視点)は一人称と三人称(神の視点)のちょうど中間のような感じがしないでしょうか。

視点を統一するなら、どの種類から選んでも構いません。物語にあった、あるいは書きやすい、カメラ目線を選びませんか?

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